「出来損ない」だった子ども時代
子どもの鑑定書には、本人が持っている門の他に、
それぞれの「生まれながらの門」に関する詳細な説明も書かれていました。
息子の「陽立門」は以前受け取った私と同じ内容でしたが、
今回 新たに娘の「月官門」に目を通し、衝撃が走ります。
これは、私が長年苦しんできた、親の子育て方針だ……!
ああ、どうりで。あんなに苦しかったわけだ……
思いがけず、過去の自分を読み解くことにもなったのです。
「時間を守る」
大人になった今でも、ありありと目に浮かぶこの標語。
小学二年生のときに、お家の人と話し合って目標を立てよう!という宿題がありました。
話し合ったかどうかはもう記憶に残っていないのですが、
私の母親はすぐさまこの言葉を用紙に書き込み、家でも目立つ場所に貼りました。
そうしてそれからの人生、ことあるごとに
「ほら、『時間を守る』だよ」
「『時間を守る』ってあのとき書いたけど、全然できてないよね」
お説教の常套句や、嘲笑のネタにされたのです。
叱られたことよりもバカにされたことが強く印象に残っていて、それだけ屈辱的だったのでしょう。
言われていることはよく分かる、よく分かるんだけど……
小学二年生のあの日から、一体どれほどこの「目標」に苦しめられたことか。
頭では分かっていて、守らなきゃ(叱られる)とも思うのだけど、
どうしてもどうしても、目標を達成し続けることはできませんでした。
(高校卒業まで遅刻の常習犯であり、締め切りに宿題を出さない子どもでした^^;)
(大学からは自分の裁量で時間割など設定できて、遅刻する機会も減っていきました)
「時間を守る」って、官門の領域だったんだ!!!
これまでも門学にはある程度触れてきたはずなのに、全然気づいていなかったこと。
娘の「月官門」の説明書を読み進めながら、
幼少期から親元を離れるまでずっと両親から言われ続けてきたことは
ほとんど官門に属する内容だったのだと知りました。
ルールを守ること。
上下関係は絶対で口答えなんてもってのほか。
自分の意見を持ってはいけない。
やりたいことをやるなんて悪の道。
清く正しく美しく。
権威ある組織に属してこそ一人前。等々。
自分の門を知り、門学を知った今なら分かります。
- 立門である子どもに官門の振る舞いをさせることは筋違いであったこと。
- 立門に対して官門を強制すると、生来の立門が弱ってしまうこと。
- 官門の素質を鍛え上げようとしたところで、官門アビリティは皆無のため(※私の場合)誰も何も得しない、互いに消耗するだけであるということ。
- 官門的な振る舞いができないことをバカにすればするほど、ますます立門は弱ってしまい悪循環に陥ること。
だけど、ある程度この社会で生きてみて、親になった今なら分かります。
- 現代の日本(特に、両親の生まれ育った環境)のほとんどは官門的な社会であること。
- 官門的な社会に受け入れられるためには、官門的でなければならないということ。
- 立門(自我)の強い子どもは官門的な社会で生きづらいだろうから、早いうちから立門(自我)を潰して官門的に矯正しておいたほうが良い、と考えたであろうということ。
きっと私のためを思って、私らしさを抹消しようとしたのだろうな……と複雑ですが、思いやってもらえていた(であろう)面には感謝の念を送ります。
やったことは間違っていたけれど。それはあくまでも門学の世界の「間違い」であって。
彼らは知る由もなかったのだから、仕方がない。
特級立門・官門ゼロの子どもが官門的な教育を受けた結果。
立門 → 阻害され続けて、素質として育たず。
官門 → そもそも素質がないから、どう頑張っても育たず。
その他の門 → 素質がないから育たず。
立門としても、官門としても、その他の門でも。
見事なまでに「出来損ない」になってしまったのでした。